朝の憂鬱
朝2時に起きていた母が薬の威力で4時まで眠れる。
そこからはもうじっとしていられない。1年前なら、庭に出て庭の履き掃除を、どこまででもいつまででもやってくれた。わたしも起こされることはなく、朝は庭が綺麗になっていて、ほんとにうれしかった。
でも今は、わたしを探し名前を呼ぶ。返事をするまで呼ぶ。そして5分するとまた呼ぶ。
朝6時にもなると、準備はできているから出かけよう。となる。まだ早いと言っても理解しない。段々こちらの口調が厳しくなると、「もう明日からわたしはここには来ないから」と強気だ。
少しは黙っていてくれよ、たまには施設に泊まってくれよ、と思うわたし。施設なんてもってのほか、わたしには仕事もあるし一人で暮らしていけるわと思う母。
朝の憂鬱。
時空の謎
夕食後テレビを観て、8時になり、さあ寝ましょうと布団へ入る。
「あなたも早く休みなさいよ。学校で居眠りすると困るよ」と50才の私に優しい言葉。
じゃあ、また明日ね。と挨拶の後、私は残った食器や鍋を洗う。
5分もしない間に起きてきて「おはようございます」「寝すぎちゃった」
昭和のコントみたい。だけど、母は本気だからね。
椿の花
庭の椿の赤い花が、その美しい形のままポトポトと落ちる頃、母はこっそりそれを拾い集め、いくつも隠し持っていた。
我が子が幼かった頃、スミレやタンポポ、四葉のクローバーなど取ってきて、わたしにプレゼントしてくれた事を思い出す。
母はその花を拾って、かばんの中や引き出しの中にしまう。たまに、もう腐りかけていたり、アリが付いてたりするから、ちょっと迷惑ではある。
母が施設に数日泊まり、明日は帰宅なので、空気を入れ替えようかとカーテンを開けたら、その陰に五つの椿が茶色に干からびてしまっていた。
最近ではすっかり視力が落ちた母にとって、椿の花の美しさがどのように映ったのか、幼子のように心ときめいたのかと想像すると、愛おしくさえ思える。
幻聴
母が施設に数日宿泊することになった。
最初の夜は解放感を感じて、朝まで久しぶりに熟睡した。そして朝二度寝して、こんな時間まで寝たのは久しぶりと思った。
翌日は母が施設で眠れてるかなとか、気になる。
気になるけど熟睡し、朝はすっきり目覚めた。
その翌日はもうそんなに眠くないが、まあ眠りに就いた。すると朝5時に母が私を呼ぶ声が聞こえ目覚めた。
これ幻聴だよね。
それで思った、幻聴や幻覚って誰でも状況によって起こりうる事なんだなって。それとも私が病気?いやいやいや。母が、わたしを、うつ病だと言いふらしたことがあるがそれ自体が幻覚・・・
私の記憶が正しければ、私自身は精神科を受診した事はないし、うつ病だと自覚したことはないのだが・・・母の眼にはほんとにそう映っていたのかなと思ったりして・・・だって母の声に起こされたんだから。
夜
22時過ぎに、薄明かりの廊下で私の名前を呼ぶ母は、「暗くて怖い」と言う。
JAのキャップをかぶり、ありったけの服を着こんで、まるで、いつでも逃げられるような様相に、こちらこそ「怖いわ」と思う。
布団まで導いて、さあ横になってと促すと、急に腰が痛いと言いだす。
今何時?と聞くので、夜の10時だと伝えると、まだそんな時間?と。
私も母も思わずため息が出る。夜は長いね。
虫の知らせ
二週間ほど前、急に実家の事を思い出し、豊川に住むお兄さんとお義姉さんに、しばらく会ってないなあ、きっと仕事が忙しくて帰ってこれんのだと思う、としきりに言った。実際お兄さんには、もう何年も会っていない。
お兄さんは長男だから、80歳を超えている。建設業を営んでいたが、怪我をしてから不自由になり、会社は息子さんが引き継いでもう何十年も経つ。
そして先週末、お兄さんの訃報の知らせが来た。
妹と私で母には伝えないと決めた。私もご無礼してお別れに行かなかった。
お義姉さんは母と同い年らしく、母の中には対抗意識のようなものを、私は感じていたが、晩年、いつも母を気にかけ、私にも優しくしてくれて、あったかい人だと思う。
この隣村の出身で、結婚してから豊川に引っ越し、息子三人を育て、会社経営の夫を支え、子育ての後は夫の介護。苦労は計り知れないのに、私には優しい言葉と笑顔と、いつもお土産をくれる。
母は、大好きなお兄さんの最期を何となく察していたように思う。こういうのを虫の知らせって言うのかな?