仕事
中学を出た後、集団就職で豊橋の工場に行ったそうで、働きながら高等教育が受けられ、寮生活も楽しかったと、当時の話をしてくれた。
その後、長女ということもあり、実家へ戻り、有線電話の交換手をしている時、父と結ばれたそうだ。
結婚後も仕事は続け、計画的に四年後に私を出産し、その三年後に私の妹を出産した。
その三年後には地元の工場で働き始める。
働きながら調理師の資格を取得した。夢は食堂を開く事と言っていた。
15年後、晴れて飲食業に転職する。
さあ生き生きとしていた。
自宅の電話にでるにも「はい、〇〇(店名)です」と言うので、父があきれていた。イベントや宴会があれば、早朝に出かけ料理をしホールにも出た。帰りは深夜になることもあった。そして名刺には肩書きが付いていた。
アルツハイマー型認知症になっても、職場に通った。制服に三角布、エプロン。同僚は誰も、病気に気づかなかった。
一度退職しパートとして再雇用された後、仕事への執着を感じた。働きたいのだ。メイクをして、眉毛を筆ペンで書いて、それが汗で垂れてしまっても、おしっこが漏れてしまっていても、途中で転んで縫合が必要なほど出血しても、朝、入れ歯が割れる緊急事態でも、とにかく休まない。働きたいのだ。
75才まで通った。我が家に連れてきてからも通った。3時間のパートの為に往復1時間かかったが、母にとっては何て事無いあたりまえの事だった。
時々「おかげさまで今でも働いてるの」と言う母は自慢げだ。